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麻雀~麻将~Mahjong
高見沢治幸(麻将連合)です。 マージャンに関することを書いていきます。 よろしくお願いします。


プロフィール

宇宙流

Author:宇宙流
1979年 最高位戦Bリーグ入り、麻雀プロとなる。
1997年 麻将連合結成とともに参加。
1998年 中麻(国際公式ルール)を覚える。
麻将連合、日本健康麻将協会、日本麻将体育協会の一員として活動しています。

麻将とは賭けないマージャンのことです。



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1997-04 古書解題 第4回「麻雀疑問解答」中村徳三郎著
第4回『麻雀疑問解答 全』中村徳三郎著・王影沐監修
 初版 昭和3年9月。大連・千山閣書房発行。本文294ページ。定価1円50銭。
「麻雀疑問解答」


 〔著者紹介〕本書での肩書は漢字新聞・泰東日報社・理事営業局長となっています。
 他に次の2冊を出しています。

 〔麻雀競技法〕大正13年10月初版。昭和3年1月改訂版(打牌要覧付き)。

 〔標準麻雀採点法〕昭和3年。

【1】はしがきより。
 《麻雀に親しみはじめた日から、私は一つの新しい世界を知った。麻雀を手にすると、わずか5分か10分で身も心も忘れて楽しい世界に入っていくことができた。私は友のすべてにこの美しい世界を見せてやりたくなった。

 ……競技法を説いて闘品に及ばざるは、仏作って魂を入れないわけである。勝つには勝つべき道があり、負けるにも負けるべき道がある。その道-麻雀道を言わねばならないのである。

 道を知らぬと打牌者としての資格はない。正しい打牌者として麻雀をより良く楽しんでもらいたいために本書を世に出したのである。》

【2】本書は3部構成です。第1部は「拆刻求和(暗刻をほぐしてアガリを求めよ)」や「打熟不打生(ション牌は切るな)」のような有名な格言も載っている『麻雀門径(手がかり)』から33項目を対訳で、第2部ではイカサマの方法を書いた『麻雀防弊(ごまかしを防ぐ)』から11項目を訳しています。

 これから紹介するのは第3部の「麻雀疑問解答」です。質問に対して答えるという形を採っています。解答から抜粋します。

 《嵌張和、辺張和は和牌が4張よりないこと。単弔和は和牌が3張よりないこと。たとえ形が単弔、嵌張、辺張和のごとく見えても、もし和牌が2種以上ある聴牌なれば、それは正しい単弔でも嵌張でも、また辺張和でもないのです。

 ……しかし、支那では近ごろ競技法が乱れた結果、原則を忘れ自分勝手な採点を用いています。すなわちピンフになるときには両門として使い、他に得点のあるときには単弔として用いるのです。何のために単弔、嵌張、辺張の規則を作り、2副を加えるのか。感心のできないやり方です。》

 この小符の解釈は、厳密すぎて少数意見にとどまりましたが、搶槓を区分けする次の提案は九州方面に影響を与えたそうです。

 《換言すると、搶槓は嵌張、辺張和が変化して和牌が1張よりなくなったので出来た役ですから、両門和またはそれ以上の和牌を有する聴牌には適用しないのが本当です。

 (マチ牌が2種以上ある場合は)搶槓を許すが、1飜にはしないという方法が最も当を得たものだと思います。》

【3】続いてダブルリーチの項目。
 《南方で立直(リイチ)、北方で控定(コウテイン)、日本人間で不吃不石〓(プチイ・プポン)と呼ばれているものは、元来皆同一のものです。不吃不〓は日本人の言いはじめた言葉ですから、本式の名称ではありません。

 【注】〓は石へんに並。音読みは「ホウ」。JISコードになく、漢和辞典にもあまり載っていない。Word2002あたりから標準装備されるようになった。

 控定は立直から出たもので、北方でこそ今なお広く用いられていますが、南方ではもはや用いられない役です。得点は2翻くらいになっています。

 南方でいう立直は、21張の井圈式により競技したころの役です。21張井圈式だと分配牌は4人とも13張で、……そのころは天和の定めもなく、地和の規定もなく、立直を満款として使用していたのです。

 【注】満款=満貫。当時はこういう表記も多かった。

 その後17幢式が工夫せられ、……天和、地和の役が定められるとともに立直は自然消滅し、今は役の多いことを喜ぶ北方に、控定としてその遺物が用いられているのであります。

 宣言後は和牌以外のものは絶対に取ってはならない条件ですから、その後の開槓はむろん許されません。したがって控定に嶺上開花の出来るわけはないのです。》

〔訂正〕3月号の九蓮宝灯は間違いで、当該書では「連」です。「宝灯」は旧漢字でしたが、一般用語と同じく常用漢字に直しました。

 本書の監修は、満鉄嘱託・関東庁嘱託の王影沐(中国人)に頼んでいます。

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【補足】
 これが載ったのは『プロ麻雀』97年4月号。隣のページは「緊急特集! ニュースステーションの『イカサマは妙技』に異議あり」でした。
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1997-03 古書解題 第3回「麻雀の取方」井上紅梅著
第3回『家庭遊戯 麻雀の取方』井上紅梅著
 初版 大正13年11月。上海・日本堂書店発行。本文91ページ。
 4版 大正14年11月。定価1円。
「麻雀の取方」井上紅梅著


 〔著者紹介〕奥付には井上進(本名)とある。明治14年(1881年)ごろ生まれ、大正2年に上海へ渡る。大正7年から3年間、雑誌『支那風俗』を刊行。大正10年に南京に移り、14歳の子供を連れた中国人と結婚。あばら屋で紹興酒を傍らに原稿を書き、麻雀とアヘンに溺れた妻を養っていたが、本人もアヘン中毒にかかってしまう。昭和5年(1930年)には『酒・阿片・麻雀』を著す。
  『近代麻雀』1984年10月号92ページ参照。
「近代麻雀」1984年10月号


 〔支那風俗〕上中下の3巻。同名雑誌の休刊直後から連載分をまとめはじめ、翌大正10年(1921年)4月に3巻とも同時発行。
中巻は賭博と芝居の研究で、麻雀については54ページも載っている。本書は、この部分の改訂版に当たる。

【1】緒言より。《ことに滑稽なのは、筒は陰象なり、索は陽象なり、萬は数の極みなり。けだし、もと飲食男女の意なり、などと説いてあるので、支那の女は索子を見ると笑いだします。
 ……支那人はどんな無学な者でも金勘定が早く、商売がうまいというのは、常にこの麻雀で算術の練習をしているからです。
 麻雀は一方には貴重な時間を費やし、支那の社会を毒しつつあるにもかかわらず、他方には無学の者に暗算を教え、かれらの頭を敏活ならしめている良薬となっております。》

 差別的な表現もありますが、紅梅だからこその感慨でもあると考え、載せました。

【2】本書には、おもに上海の遊び方が書かれています。当時はどんな計算方法だったのか、現在との違いを中心に紹介します。巻末に綴じ込んである「和の図解」1局で、本文で感じた疑問がほとんど氷解しました。

(1)やり取りに点棒を使うことは少なく、たいてい銅貨や小銀貨で代用している。
 これでは競技とは言えません。

(2)サイド計算 まず和了者に3人が点数を支払う(ロンアガリでも三家包)。続いてほかの3人で点数のやり取りをする。(詳細は後述)

(3)和料(副底のこと)は10点。メンゼンという概念はない。また、小符と役とを区別する意識もない。

(4)ピンフは《哀れな上がり方で、あまりしばしばないことだから、まず平和20点と決めることが多い。》
 小符も役もない場合の特例で、和料と同額の10点を加えて20点としています(10点の1翻と同じ)。

(5)中發白(三元牌の総称)と門風は1翻。場風という感覚はない。

(6)清一色は3翻。

(7)次は10点。金鷄奪食(チャンカンのこと)・嶺上開花・海底撈月・対々和

(8)次は300点(満門と呼ぶ。上限)。天和・地和(親の第一打牌でのアガリ)・四喜臨門(大四喜のこと)・三元牌(トイトイ大三元のこと)・国士無双(配牌で13メンマチの状態。十三不搭と呼ぶ。不採用の所もある)・九連宝灯(純正)

(9)和了者への支払いはノム半(ヤオハン)。
 たとえば天和は300オールで、地和は150・300。子のピンフは10・20で40点入り、いちばん安い手(のちのアルシーアル)は6・12で24点入る。
 アガリの度に、頭銭(ゲーム代)を家庭では5%、妓館では10%払う。

 蘇州などではノム半は用いない。放銃者が倍払い、ツモアガリのときは3人が倍払う。
 放銃一家包の元の形でしょうか。

(10)サイドの計算方法
 だれかがアガると、ほかの3人は手持ちの暗刻や役牌のトイツを見せる。
 各自の小符を計算し、その差額をやり取りする。この時、役牌でも翻しない。
 34445索
 34445索のような形も、本人の有利に4索暗刻となったと推測できます。

 なお、第1回の『麻雀精通』(北京麻雀)では、サイド者も役牌は翻することになっています。

【3】自序を読みやすくして紹介します。
 《5~6年前アメリカが支那の留学生を盛んに吸収したころから、麻雀は世界一の上品な家庭遊戯として推奨されるようになりました。そうして早くも英文の麻雀必勝法などというたちの本ができたそうです。近ごろ日本で、ようやく麻雀に興味を持つ人が多くなったのは、その英文の必勝法を見たからでありましょう。

 日本が支那に対する事物の取り入れ方はたいがいこういう風だから憫笑に堪えません。まさか白人という鑑定家が一度手を通した上でなければ、世界の事物の価値が定まらぬというわけでもありますまいに。

 私は大正5年ごろから、麻雀について三度稿を起こしましたが、自分の思い違いやら校正の粗漏やらで3度とも失敗しました。そこで折りがあったらもう一度、ぜひ書き直してみたいと思っておりました。

 幸い南京にいたころ、私の身辺人が斯道たびたび私に説法して聞かせ、だいぶ迷惑をかけてくれたので、ようやく麻雀の妙底を悟ることを得て、ここに4度稿を起こし、本書を獲たのであります。》



1997-02 古書解題 第2回「麻雀」下村白薇編
第2回『麻雀』下村白薇編
 初版 大正14年1月。京都・内外出版発行。定価1円20銭。本文137ページ。
「麻雀」下村白薇著


 本書が参考にした図書で日本のものは10冊中4冊だけで(うち一つは『サンデー毎日』の連載)、3冊はアメリカ、もう3冊はロンドンで出版された英文図書です。著者は中国語が不得手だったので、前記のなかでもアメリカで出た『Synder's MA-Jung Mannual』(シンダーのマージャン・マニュアル)から多くを引用したようです。

【1】用語は、著者の配慮により日本語化されています。たとえば牌は場駒であり、数牌は平駒、字牌は役駒です。そのほか萬駒・丸駒・竹駒・風駒・色駒(三元牌)・花駒(花牌)といった具合で、「花駒のないものもある」としています。

 王牌は死に駒、嶺上牌は離れ駒と呼び、第2嶺上牌を第3嶺上牌の上に乗せ、第1嶺上牌はそれにくっつけて現在のドラ表示牌の上に乗せることが写真入りで出ています。現在とは違い、順番どおりきちんと下山の牌(第2嶺上牌)から補充していたと思われます。

【2】場風を特殊遊戯法の一つとして紹介しているのは、ルールの変遷の上から大変興味深いことです。当時の中国や欧米では一荘(4周)という区切りどおりに行うことはあまりなかったのではないでしょうか。別のページにも、「場風を用いる場合は一荘行わないと公平でないが、そうでなければ1周ごとに区切りとしてもよい」とあります。

【3】特殊遊戯法としては3人打ちや5人打ちも載っています。3人打ちのときは山を三角形に築き、西を抜いた132枚で行ないます。そのほかは4人打ちと同じです。

 5人打ちのときは現在俗に言う「ホッカイドウ」をするわけですが、点数のやり取りは現在とは異なります。なにしろ放銃でも責任払い(一家包)はなく、さらにはサイド計算(上がった人を除いた3者間での点棒のやり取り)まであった古い時代のことですから。

 卓外にいる5人目は、これと思う人にその局の運命を託します。その人が上がれば副底の20点をノム二(ヤオアル)式にしたがってもらいます。すなわち子に賭けたときは、上がれば80点もらえ、他家が上がったときは20点払うのです。親に賭けたなら、上がれば120点もらえ、他家が上がったときは40点払うことになります。順位という概念がなかったので、点棒のやり取りでも差し支えありません。
 これを繰り返すわけですが、一局ごとに馬を乗り換えてもよいかどうかについてまでは触れていません。

【4】本書は花牌について、非常に詳しく説明してあります。特に花牌を使った得点計算が、写真入りで14例も載っているのは心強い限りです。日本では136枚だけ使う「清麻雀」が普及したため、「花麻雀」については本書によってしか知ることができません。

 花牌は春夏秋冬のほかにも数十種類あり、それぞれ1~4までの番号が刻んであります。数字の入っていないものも多いので、私はいまだに梅蘭菊竹の菊と竹の順番ですら確定できません。

 花牌は2組8枚を使います。したがって各自は18幢積むわけです。配牌で花牌があれば脇に出し、親から順番に王牌より補充します。補充牌が花牌だったときは、全員終わったあとで補充します。

 ゲームの途中で花牌を引いたときは通常の山(下家がツモるはずの牌)から補充します。ツモ筋が変わることになりますが、ゲームが始まったあとはカン以外は王牌に侵入できないのです。意外な事実ですが、このことによってカンというものがいかに特別なもの=めったにできないことだったかが分かります。

 花牌は各自の方位に対応しています。春夏秋冬・漁樵耕読の2組を使う場合、通常は1枚4符ですが、親は「春と漁」、北家なら「冬と読」というように自分の方位に当たる2枚をそろえると1翻にもなります。

 もし北伐中原(八仙慶寿)と1組全部を集めると、16符のみならず3翻にもなるのです。

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【補足】本稿発表の翌年、増補版の存在を知りました。

◎昭和2年10月に出た増補5版から。本文175ページ。

増補の序
《私が昨年学窓を出でて、三井物産の社宅に寄寓して居った頃、土曜日の夜等はよく麻雀を戦わした。》

初版の序に《洛東高台寺畔にて 白薇》とあるので、京大生だったのでしょうか。だから「白薇」とペンネームにする必要があったのかも。

東京音楽学校(現・東京芸大)の学生(芸名・藤山一郎)が流行歌を歌い、停学処分になったのはこの数年後、1931年(昭和6)です。

序の結びは《深草の兵舎にて 白薇》

《第10章 マニラマージャンあるいはポーカーマージャン》

《遊戯法
(1)ミックストセクエンス
(2)ドラゴンミックストセクエンス
   ウインズミックストセクエンス
(3)ドラゴンカラーセクエンス
   ウインズカラーセクエンス
(4)ソリッドセクエンス
(5)ローヤルセクエンス
   備考、マニラゲームの名称とポーカーの名称との関係
(6)ターミナルハンド
(7)ヘブンリーツウィンス》

《採点実例
(1)ストレイト
(2)アナーズストレイト
(3)フラッシュ
(4)ストレイトフラッシュ
(5)ローヤルフラッシュ
(6)ターミナルハンド
(7)ヘブンリーツウィンス》

目次の羅列で恐縮。この増補版を見つけた時、大急ぎで、奥付と目次だけコピーしておいたもので、本文を読む時間はありませんでした。

私は英語にうといので、セクエンス etc. ちんぷんかんぷんです。

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1997-01 古書解題 第1回「麻雀精通」榛原茂樹著
◎古書解題(『プロ麻雀』に連載したものを推敲しました)

 『プロ麻雀』1997年1月号から「古書解題」を連載しました。古書はそれなりに集めていましたが、執筆する自信は全くなかったのが本音です。

 時はミュー発足前夜。「この指、止まれ」から1年後で、最高位戦は秋の選手総会で、井出洋介代表から新津潔代表にバトンタッチ。
私たちは毎月、準備会を開き、97年春の発足に向けて地固めをしているところでした。
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第1回『麻雀精通』榛原茂樹著
 初版 昭和4年11月 東京銀座・銀雀会発行。定価2円。
 改訂版(306ページ以降488ページまで増補したもの)昭和6年3月。東京日本橋・春陽堂発行。定価1円70銭。
「麻雀精通」改訂版

 著者は本名、波多野乾一。産経新聞の記者で『中国共産党史』を著す。昭和38年死去。米国当局、中国に関する書物・資料をあらかた持ち去る。

 著者についてはその後、研究が進み、江橋崇法政大学教授が「波多野乾一(榛原茂樹)と梅蘭芳」という論文を書いています。
http://www.kenko-mahjong.com/topics/ebashi2.htm

 この昭和4年(1929年。著者は西暦を多用している)というのは、麻雀がブームになった年で一般の年表にも記載されるようになりました。
 また、本邦初の雀譜(牌譜)が採られたのは、この年の7月13日でした。著者の考案によるものです。(およそ50年後、鈴木知志氏の解説で『ビッグ麻雀』昭和53年3・4月号に掲載された)

 序文より。
 《麻雀に関する解説書はずいぶん多く出た。遅れて出るからには、何らかの存在理由がなくてはならない。本書は北京麻雀で育てられた私が、日本へ帰って約9か月の間、「日本麻雀」というものに打つつかつて、かつ討論し、かつ研究した記録で……。理論麻雀学の最初の述作、とまでの自信はないけれども、それに似たものでありたいとは願っている。》

 この本の最たる特徴は、他の著作を参照し、一般的なルールを紹介したあとで、自説を展開していることです。
 また、改訂版でなく巻末に増補する形を取っています。後半はばらばらの論文を並べただけになっているのは、いい加減なやり方と言うべきでしょうが、そのために史実の確認には非常に役立ちます。
 用語は、初出時に中国語ローマ字表記(当時はウェード式)とカタカナのルビが振ってあります。

 まず冒頭で夏目漱石の『満韓ところどころ』を引用し、1929年4月までに出た解説書を17点挙げた後、それらを総括しています。

『満韓ところどころ』第19段より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/781_14965.html
 《その中(うち)の一つでは四人(よつたり)で博奕(ばくち)を打っていた。博奕の道具はすこぶる雅(が)なものであった。厚みも大きさも将棋(しょうぎ)の飛車角(ひしゃかく)ぐらいに当る札を五六十枚ほど四人で分けて、それをいろいろに並べかえて勝負を決していた。その札は磨いた竹と薄い象牙(ぞうげ)とを背中合せに接(つ)いだもので、その象牙の方にはいろいろの模様が彫刻してあった。この模様の揃った札を何枚か並べて出すと勝になるようにも思われたが、要するに、竹と象牙がぱちぱち触れて鳴るばかりで、どこが博奕なんだか、実はいっこう解らなかった。ただこの象牙と竹を接ぎ合わした札を二三枚貰って来たかった。》

 『精通』に戻ります。
 《(前に挙げた既成解説書も)いわば地方的麻雀の解説者であるに過ぎない。上海麻雀であり、北京麻雀であり、満州麻雀であり、朝鮮麻雀ですらある。前掲各書の著者たちは、いずれもその習い覚えた地方的麻雀を振りかざし、われこそ本場の麻雀なれと見栄を切っているにすぎないのである。》

 参考になる点を数か所紹介します。

【1】《それのみならず私は、将来この遊びが団体競技として完成されることを予想している。すなわち4人を1組とする団体競技であって、総得点数、平均点数、プラスの回数、勝率などを考慮した公平な採点法によって順位を決するようになるのである。》

【2】牌山、河の作り方《邦文の既成案内書の全部は、井圏を真四角に組むように書いてあるが、北京あたりでは17幢の右肩を斜めに突き出し、上図のように組む。……最新の方法と言える。》

【3】チー《吃とかけ声してこれを取り……》

【4】王牌《林茂光氏の説によれば、開槓があると各自の得点が大きくなるから、それを防ぐために1幢ずつを進め、早く王牌に達せしむる趣旨だとのことであるが……なにぶん誤解を生じやすい方法であるから、常に14個とする説を私は採るものである。》

【5】《和-ゲイムの目標……和もしくは栄は、麻雀競技の最終の目標であるから、絶対に強力なもので、和の手段である槓、石並、吃は、太陽の前の螢火のようなもので、和の前にひれ伏さなければならないのである。
 ただし暗槓だけには、和の効力は及ばない。何となれば暗槓による開槓は、単に持ち牌補充のためにするものと解釈すべく、河中に投げ出された牌ではないからである。
 しかるに従来十三ノム(Shih-sun Yao)らの役に限り、暗槓にも和の効力を及ぼし得るように規定した向きがあったが、これは改められなければならぬと思う。》

【6】《(和の)変態として十三ノム、十三不搭、七対子の3つがある。(中略)私の理想としては変態を認めぬことにしたいと思っている。》
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まとめ

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