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麻雀~麻将~Mahjong
高見沢治幸(麻将連合)です。 マージャンに関することを書いていきます。 よろしくお願いします。


プロフィール

宇宙流

Author:宇宙流
1979年 最高位戦Bリーグ入り、麻雀プロとなる。
1997年 麻将連合結成とともに参加。
1998年 中麻(国際公式ルール)を覚える。
麻将連合、日本健康麻将協会、日本麻将体育協会の一員として活動しています。

麻将とは賭けないマージャンのことです。



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1997-12 第12回「麻雀の競技法とその秘訣」日本競技倶楽部編
第12回「麻雀の競技法とその秘訣」日本競技倶楽部編
昭和14年1月初版。同年10月10版。東京浅草区・岡村書店発行。154頁。30銭。

〔著者紹介〕日本競技倶楽部とありますが、実態は不明です。

 本書の奥付は昭和14年になっていますが、はしがきの日付は昭和11年10月1日です。60年後の今日も、初版日をきちんと記載していない本を見かけますが、悲しい現象です。

1 本文は、牌の組織・麻雀用語解説・競技法・正しい打牌の仕方・和り役解説・基本的作戦・麻雀の奥義・特殊競技法の8章からなり、付録として、昭和11年度新法・麻雀用語辞典が載っています。

2 「麻雀の奥義」の章から「けん制の仕方」を紹介します。
 《けん制は互いの責任で、決して自分のためばかりにするのではありません。相互にけん制し合うので競技が緊張して面白くなるのです。ですから、一人それのできないものが加わると、均勢が破れて興味が失われてしまいます。けん制は打牌者の資格として、第一に覚えておかなければなりません。

 (ロ)対家について。
 対家の形勢がよく、その勢い当たるべからずというようなときは、弔(チャオ)ポンの法をもって対するよりほかに仕方がありません。例えば、自分が7 8 8 9 のような牌を持っていて対家が8 を打ってくれば、無理にポンをして7 9 の2個を捨ててしまうのです。これを弔ポンと言います。

 対家の牌を取ったからといって、すぐ自分が順境になるとは言えませんが、少なくとも、それが転機となって対家の勢いをそぐことができると言えます。

 しかし、自分が順境のときに弔ポンをすれば、自分の牌を対家にまわすことになるのですから、そのへんはよく機会を狙ってやらないと、かえって失敗の原因となるのであります。》

 4月号で紹介した『麻雀疑問解答』では、中国の本『麻雀門径』の訳文を載せていますが、この部分はそれを丸写しにしたものです。良いものをそのまま紹介するのは、わたしの好むところですが……。

3 昭和11年度新法(大日本麻雀連盟制定)
 これまでのものと比べると、運を加味し役を多彩にしたルールだそうで、新たに全帯〓と緑一色が加わりました。現在の日本麻雀連盟ルールと比べると、役が多いのが特徴です。立直(現在のダブリー)・三槓子・七対子・人和・緑一色。

 四槓子はないので、実際にアガった場合は三槓子・対々和の2役で数えます。最低点は、4組とも中張牌の明カンで雀頭が〓九牌の場合です。計算式は(20+8×4+2)×2×2=216。これを四捨六入して220。これの4倍、880点を放銃者からもらうことになります。

 前例で、槓子のうち1組が役牌なら、62×2×2×2=496。四捨六入の恩恵で、満貫と同額の2000点になります。

4 この時期は、まだサイド計算(和了者以外の3人で点棒のやり取りをすること)が残っていたようです。
 《6.小副(サイド)
 イ.摸和のときは小副計算は行わない。
 ロ.栄和の場合でも聴牌していなければ、小副はもらえない。
 ハ.放銃者は自家の小副を失う。
 ニ.放銃者は他家の小副を各別に支払い(片サイド)、差し引きの代償はしない。
 ホ.満貫成立の場合は小副計算はしない。 ヘ.小副計算も満貫額を限度とす。》

 「ツモ」アガリのときは、3人とも点棒を払うので、サイドは無し。「ロン」アガリのときは、わきの2人にも点棒のやり取りをさせるため、サイドを残す。ただし、テンパイしていなければサイドをもらえない。
 どこか、ノーテン罰符の発想に似ている感じがします。
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1997-11 第11回「麻雀日本」合本 川崎備寛編集
第11回「麻雀日本」合本 川崎備寛編集
昭和7年9月~8年3月。麻雀日本社発行。各号30銭。送料2銭。東京堂ほかで販売。

〔編集長紹介〕川崎備寛(かわさき・よしひろ)は早くから名人とうたわれた。昭和7年当時は七段。著書に『麻雀通』『麻雀の打ち方』『麻雀の勝ち方』などがある。

1 昭和7年1月、日本麻雀連盟が大阪方と合同して、久米正雄を総裁に大日本麻雀連盟が設立されました。32ページの『会報』を3号発行しましたが、不況もあって会費の徴収がきちんとできません。
 そこで、9月には川崎備寛が作った個人会社から、機関紙として『麻雀日本』を発行しました。創刊号は76ページ、通常号でも64ページという立派なものです。
 本書は9・10・11月号および8年1・3月号の5冊を合本にしたものです。

2 9月創刊号から甲賀三郎(探偵作家・評議員会長)の「麻雀新法」を紹介します。

 《麻雀はもと、支那で財物を賭けて勝負を争うものだった。財物を賭ける博打には技を楽しむも何もない。ただ勝つあるのみである。千符勝っていようが、二千符勝っていようが、なお勝ちをむさぼらなくてはならない。碁にも賭け碁があって、その中に目碁と言って、勝った目数に応じて財物を取引するのがある。
 (中略)負けても制裁のないのを奇貨として、むちゃくちゃな打ち方をしたり、むやみに吃〓して安い定牌を急ぎ、それも当人が和ればいいが、他家に大きい手を作らしたり、盛んに振り込んだり、碁の場合の負け碁の打ち好さという打ち方をされてはたまったものではない。》

3 昭和8年1月、京都で全国代表会議が開かれ、ルール改正については、小委員会で5時間も審議しました。顔ぶれは、東京から5人、京都3人、大阪4人、神戸3人です。
 
 《麻雀のルールは年を追って理論化され、かえって大衆の興味と要求から離れていった。ことに7年度ルールには多分にその傾向が現れて、これがまた、連盟の存在をやや影の薄いものとした一因であるとも言える。
 連盟でもこの傾向を看破して、7年4月、参考規程として一家包ルールを発表した。この方は少なくとも東京においてはだいぶ行われているが、7年度のいわゆる3人払いの標準ルールはほとんど捨てて顧みられない状態である。
 このたび大日連としては敢然、大衆の懐に飛び込んでこれをキャッチするために、思い切って興味中心の一家包ルールを標準ルールとして発表し、別に、言わば有段者ルール、あるいは段位審査用ルールとも言うべきものを、後日、十分論議の上、参考として発表したいという空気が委員会全体を支配した。

 大阪の一、二の委員諸氏は、かなり強硬に一家包を建前とする点に反対したが、金城湯地と頼んだ大阪の地さえも、すでにほとんど半ばまで一家包に浸潤されているという事実は、いかにそれが麻雀界の大勢であり、大衆の要求であるかということの証左で、ここに至ってもなおかつ大日連のみが孤高を誇るは愚劣であるとの意見が多数を占め、妥協が成立した。》

 その後、成文委員を東京から3人、大阪から1人選び、晩さん会に移りました。

4 NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」はまもなく終了しますが、話題を呼んだのは野村萬斎(狂言師)が演じた吉行エイスケでした。
 長男の淳之介は「麻雀の研究」(祥伝社・小島武夫と共著)も出していますが、父エイスケの麻雀はどんなものだったのでしょうか。近藤一郎という人が10月号に「砧(きぬた)村麻雀」と題した小文を寄せています。

 《僕の知っているなかで、一番に下手な男は吉行エイスケである。彼の麻雀を一名、「墓場麻雀」という。すなわちポンとチイとを区別して、それぞれ一組を一インチくらいの間隔を作って並べている。一度そのなかのポンが出ると、彼はおもむろに右手をあげて、「しばらく1!0」と一声してから、牌の石碑を倒してポンまたはチイと叫ぶのである。》

※会員名簿には樺太から台湾、朝鮮まで載っています。

1997-10 第10回「麻雀最新戦術」米沢章著
第10回「麻雀最新戦術」米沢章著
昭和5年12月。大阪・朝日新聞社発行。234頁。60銭。表紙の絵は紙牌の老千(三元牌の一つ)。

〔著者紹介〕昭和2年『週刊朝日』に競技法を連載し、『標準麻雀競技法とその作戦』と題して単行本化。本書はその改訂版に当たる。昭和2年には南満州の安東に、本書の発行時は朝鮮半島南端の釜山にいた。

1 本書は4章から成っています。競技方法編・一般戦術編・高等戦術編・理想ルール編です。

2 はしがき《この書は戦術に重きをおいてありますが、これとて支那を通じて百年の歴史もない麻雀のことゆえ、碁、将棋のように定石と銘打つほどのものではありません。碁、将棋の達人ほど定石を踏まないように、これは私の手順なのですから、貴下は貴下の手順と定石を構成してください。》

3 四暗刻(満款)《日本連盟や満州では暗槓を暗刻に認めていますが、幼虫とさなぎが同じだといった形で、四暗刻の純真を汚すものであります。》

4 三槓子(満款)《日本連盟でかつて四槓子(満款)を発明しました。その後まもなく抹消されましたが、そのとき三槓子は1飜に左遷、今日に及び、関西連盟でも1飜としました。1飜でよいのですが、四暗刻も1飜でよいと思います。そうして三暗刻を除外することにしたいものです。》

5 著者は四槓算了を絶対のものとしていますが、倒牌・三家和・四風連打は一日も早く廃止すべきだと唱えています。また、チョンボは半満款(現在なら倍満)の支払いでは甘く、満款払いにすべきだとしています。

6 著者の慨嘆をお聞きください。
 《なにゆえ、こんなふうに(別個の)ルールがあって、統一されないのだろうか。満州は支那の地続きで支那人との交渉関係もあって、日本人間にもわりあいに早くから覚えられて、善かれ悪かれ、おかまいなしに伝播されてしまったのと、サイピウ流行の土地柄だけに投機化が喜ばれて役と名のつくものは何でもござれで、五筒開花満款なんてのもあってまじめにお話ができないし、朝鮮では日本ルールの改善を叫んでその日の至るを気ながく待ったが、なかなか実現しそうもない気配に、朝鮮雀界の歴史を参酌して雀友会ルールが生まれ、関西ルールも、東京側の態度に信頼しかねるものがあって分裂した関西連盟が、ルールの合理化を期して制定したものであるから、(麻雀ルール界の現状は)かなり複雑で麻雀人としては不便である。

 日本連盟の名においてルールの統一を企画しながら、かえって分裂をみたのはなにゆえか。東京人は多数を頼んで地方的意見を入れなかったためではないか。》

 その地の風土に根ざしたルールなら、確かに尊重する必要があるでしょう。しかし、使用者が少ないと、トラブルの事例も少ないので弊害に気がつかないことが多いのも事実だと思います。

7 朝鮮雀友会ルール《昭和5年7月制定とある日本連盟のルールを討議して制定したものであるから、様式はそれに似ている。内容はかなり趣を異にしている。
 第3条 開槓。開槓は吃、〓または槓をした際でも、任意にすることができる。
 これが、支那麻雀から脱した日本麻雀として最も良い点である。形而上、摸牌によって槓をすることは無意義である。戦端を開いた以上、作戦は14牌継承者、すなわちゲームの行使権を持っている者--今牌を河に捨てようとする人--の自由である。よしんば和了となっていても役の都合では戦線を延長しうるし、槓をそのまま他に流用もできるし、あるいは定牌直前まで伏せておくことも勝手である。吃して打牌する前に槓の必要を生じた(または感じた)なら、開槓して打牌することに何ら異論はないのである。》
 朝鮮半島では、この開槓のルールが一般的だったのでしょうか。

※口絵の表題に「人は右まわり、牌は左まわり」とあります。林茂光や天野大三も同様の表現をしています。今日とは言葉の意味が正反対で、興味深い事実です。
 「右まわり」「左まわり」が国語辞典に載るようになったのは近年のようです。

★どちらも掲載してない辞典
 1976年の『旺文社標準国語辞典』(中学生向け)新訂版第16刷
 1982年10月の『岩波国語辞典』第3版第4刷
 1989年7月の婦人生活社『読みやすい引きやすい反対語新辞典』
 1993年9月の東京堂『逆引き同類語辞典』初版
 1994年6月のぎょうせい『早引き連想語辞典』初版
 1995年2月の小学館『使い方の分かる類語例解辞典』第1版第3刷
 1995年10月の『角川必携国語辞典』初版

★「左」の項目のなかに「左回り」、「時計」の項目のなかに「時計回り」の項目があるもの(両方の語釈のなかに「反時計回り」も出てくる)
 1993年12月の三省堂『新明解国語辞典』第4版第19刷

★「左回り」を項目に立てているもの
 1985年1月の角川書店『類語国語辞典』初版(対意語として右回りを挙げているが、その項目はない)

★「右回り」「左回り」「時計回り」を項目に立てているもの
 1995年4月の小学館『現代国語例解辞典』第2版第8刷

1997-09 第9回「日華麻雀争覇戦 解説と戦評」杉浦末郎著
第9回『日華麻雀争覇戦 解説と戦評』杉浦末郎著
昭和5年10月。東京日本橋・大阪屋号書店発行。295頁。1円80銭。箱入り。

〔著者紹介〕杉浦末郎(すぎうら・すえろう)は満州鉄道に勤務していた大正9年に麻雀を覚える。当時、麻雀はアメリカでも流行し始めていた。大連では大会の幹事をしたり、15年に開局したラジオの麻雀講話に出演する。
 帰国直後の昭和2年から5年まで麻雀書を次々に書く。国民新聞社主催の全国選手権では、4年の第1回大会(600人が参加)から実質的に審判長を務める。
 10年中国に戻り、終戦1年後に内地へ引き揚げる。金沢に移住してからは夫婦麻雀などを企画した。

 〔大阪屋号書店〕本店は東京。支店は大連・旅順・奉天・ソウルにあった。戦後の昭和36年(1961)にも杉浦の著書を発行している。

1 本書は「第1回日華対抗麻雀戦」の観戦記です。経緯は次の通りです。

 昭和5年、杉浦は読売新聞社に速達で呼ばれた。正力松太郎社長に「本紙(読者25万)は囲碁・将棋欄が呼び物だ。麻雀欄を作ることにした。世間の雀人どもがびっくりするような計画を立ててほしい」と要請された。社会部長と相談して、東京の中華民国公使館と横浜の領事館に申し込んだら大賛成。代理公使からは優勝カップを寄贈してもらった。

 対局は5月20日(火)から7月2日(水)まで一荘ずつ8日間行われた。会場は読売新聞社3階特別室。初戦は平日のためか夜7時開始。久米正雄、佐々木茂索の文春コンビが中華体育会の梁副会長兄弟と対戦した。久米の活躍で日軍が+820点の好スタート。ところが2回戦で華軍に逆転され、4回戦、5回戦で大差をつけられる。最終8回戦で追い上げるも華軍が+2130点で優勝。

 時事新報社の榛原茂樹は4回戦、カニ缶詰連合会の林茂光は5回戦、文春の川崎備寛は8回戦に登場した。3人ともちょいへこみ。

 選手選考については次の方針で臨んだ。
 1) 連盟、榛原らの雀院、杉浦らの協会などに依頼する。
 2) 実力よりも知名度を重んじる。

 この雀譜(牌譜のこと)と観戦記は、杉浦が北平一というペンネームで連載した。記録係は8名。内2名は選手としても出場。

 その後、婦人の日華対抗戦や4大都市(東京・神戸・大阪・名古屋)対抗戦などを行ったが、選手の知名度が落ちたため、しだいに注目されなくなった。
 また、新愛知・京都日々・大阪新聞・神戸夕刊などでも雀譜を掲載するようになり、それぞれに別のペンネームで原稿を送った。

2 当時はアルシーアル麻雀。出アガリでも三人払いで、さらにサイド計算もある時代でした。この対抗戦では華軍側の希望に合わせて暫定ルールを作りました。
 すでに日本では門前清を優遇していましたが、対抗戦では大門前清(自摸和)1翻も小門前清(栄和)加10符も採用しませんでした。

3 杉浦はかねてから対抗戦の意義を強調していました。公平をはかるため、チームメートとはトイメンどうしになっています。場所決めの方法が書いてないのは残念です。

4 1回戦東4局、南家の久米は2巡目に 東 をポン、7巡目には五万をカンチャンでチーして三 三 三 西 西 西 北 でテンパイした。8巡目、

 《次は久米氏である。何か来たか? 北 の牌は佐々木氏が2枚持っているから、あますところ1枚しかない。どうなるかと思って見ていると、菊地寛氏(主将)始め久米氏の背後に立つ観戦者一同、歓喜の声を上げる。北 を自摸したのだ。
 なんと、久米氏の強気の戦法みごと功を奏して混一色2翻160点の上がり。梁扶初君頭をかきながら、さすがくやしそうに五万を吃させたことの弁明に努むる。》

 久米の手はちょうど40符。場風1翻、混一色1翻で160・320の計640点。この後、残りの3人は小符を数え合ったはずです。

※1回戦の写真は、本誌「プロ麻雀」1983年9月号に載っています。

1997-08 第8回『麻雀超スピード上達法』空閑緑著
〔著者紹介〕空閑緑(くが・みどり)は麻雀ネーム。本名は空閑知鵞治(くが・ちがじ)。
 大正10年ごろ青島(チンタオ)から帰国。日本麻雀連盟の創立者で最高位の八段。雀荘経営に熱心のあまり、連盟を自分の商売に使うとして非難された。後日、脱退。

1 この書名には著者の心意気が現れています。全8章の題名は、研究的闘牌・相手の選択・運気の感得・雀道と雀品・一般方略・麻雀の段位・競技の記録・麻雀の評論です。

2 運気の感得《運は天にあり、ぼたもちは棚にありと古語にいうが、麻雀をやるときは、運は手にあり、ぼたもちは自摸に限るといいたい。
 門前清の味わいは棚のぼたもちよりもはるかに優れ、勘が悪いときは食い違いが多い。

3 麻雀の段位《支那在来の賭博麻雀と、日本に勃興したスポーツ麻雀との区別を判然させておくためと、一方初心者を早く上達させる激励のため、他方老巧者の技量に甲乙をつけて、勝っても軽々しく誇らず、負けてはいよいよ憤激していっそうの研究心をそそる奨励のため、日本麻雀連盟の前身、四谷時代の東京麻雀会において、各自の希望に従い相当の期間麻雀ランク・テストを行い、初段から五段に分けて雀士の段位を勇敢に決定したことは、わたしの決死的な試みで、これがすなわち日本における麻雀段位の創成である。

 その後、東京麻雀会から全日本統一の日本麻雀連盟を生み出し、さらに昭和4年、名誉伴う日本麻雀の大連盟が完成して後、引き続き段位制度を踏襲し、五段制を改めて八段制となし、段位選考委員会では久米正雄氏を委員長に推挙して、麻雀段位の権威のために、従来のわたし個人のしきたりとまったく区画を明らかにして、委員会の厳存を期しており、現在全国有段者数、実に数千人の多きに上る盛観である。》

4 続いて久米委員長(鎌倉文士の代表格。昭和4年時は37歳)の所見を紹介しています。朗読すると感じが出ます。四圈(一荘のこと)は、昭和5年ルールの振り仮名どおりに「スーチュワン」と読んでください。

 《私の見をもってすれば、すべて一事をマスターするには、おのずからなる古今の標準数がある。それは千という度数だ。
 綱打ち千番といって、千度打って綱は初めて自由にさばかれる。短冊千枚といって、千枚書いた人にして初めて、短冊の字配りは所を得る。碁さえ千盤といって、ザルとしからざる者との区別は付くという。わが田の話にしても、原稿千枚にして、作家の素人玄人はおのずから分かれる。

 四圈千回、初めて牌を知る。もちろん己を知り、おぼろげに敵の聴牌を知り、場の形勢を知り、人に迷惑をかけず、抑うべきを抑え、ガメクるべきをガメクるを知る。……これ斯界の初段である。

 が、四圈千回はなかなか容易でない。一日平均四圈3回として、1年はかかる。それも漫然とやったのでは、千卓は一卓にしかない。われわれが牌歴を重んずるゆえんはここにある。》

5 空閑はこのころ「麻雀と社会の座談会」を主催しました。代議士や子爵、本因坊秀哉、陸軍航空少佐、元ブラジル公使、東京日々新聞(現在の毎日新聞)記者ら17人( 女性1人を含む)以上が集まりました。

 《小菅芳治(警視庁保安課長)
 第三に料金の点であります。今のところでは4人一組で、勝った者は無料であって、あとの3人が同じように20銭あて払う、という方法。もう一つは、勝った者はやはり無料であって、負けた者がその点数によって、一番負けた者が30銭、その次に負けた者が20銭、その次に負けた者は10銭、それだけ出すという方法が行われております。》

 1982年の第7期最高位戦ルール会議では、川田隆さん(第1期最高位・得点部門)が「順位ウマはばくち的である」と主張していました。

1997-07 古書解題 第7回「麻雀入門」広津和郎著
第7回『麻雀入門』広津和郎著
 初版 昭和5年9月。東京神田・誠文堂発行。十銭文庫第11番。縦148ミリ、横88ミリ。124頁。10銭。
「麻雀入門」広津和郎著


〔著者紹介〕広津和郎(1891~1968)は早大卒の小説家・評論家。大正5年から10年まで鎌倉に住み、久米正雄、菊池寛を知る。大正15年から昭和5年(1930)まで馬込に住み、尾崎士郎、宇野千代を知る。本人は放浪が多かった。昭和24年(1949)に起きた松川事件の二審判決を批判し、38年最高裁で無罪を勝ち取る。

 広津はせっかちでした。マナーにうるさかったのですが、本人はよく先ヅモをして謝っていたそうです。また清一色癖があって、6枚、7枚からでも悠々と清一色を企んだそうです。これでは「常に負け麻雀」と言われたのも無理はありません。

 本書は十銭文庫の第11番となっています。2か月半で35版を数えるほど売れたからか、70番台には麻雀書がずらっと並んでいます。

 76番『麻雀必勝法』広津和郎
 77番『麻雀高等新戦術』川崎備寛(昭和6年2月)
 78番『麻雀早和り法とガメクリ法』川崎備寛(77番と同時発行)
 79番『麻雀超スピード上達法』空閑緑(昭和6年1月)

【1】序文《麻雀は花札などと違って、すこぶる明るい遊戯である。いすに腰かけて4人で〓和〓子を囲むと、すぐに新鮮な興味がわいてくる。日本の花札のようにこくのある細かい味はないが、陰気臭いところは少しもない。
 家庭遊戯としてもかなり愉快なものであると思う。運動することの少ない日本の家庭婦人などには適宜の運動にもなって保健的でもある。

 また本来、支那の遊戯であるから、在留民国学生がクラブに出入りして広く邦人に接する機会が生じたことなども、一つの余得である。これまで下宿屋を通してしか知り得なかった邦人に対する見解なども自然と異なってくることと思う。》

 〓和〓子(ポンホウ・タイツ)とは麻雀卓のことです。

 【注】最初の〓は石へんに並。後の〓は木へんに台。

【2】牌の模様の由来については、こじつけだと評しながらも、2通り紹介しています。

 《「東・南・西・北」は空間、すなわち天地乾坤を表すもので、世界至る所という意味を表示したものである。

 「白板・紅中・緑發」は時間を表したものである。「白板」は天地創世以前の混沌たる状態で、「緑發」はそこに生命の発生したことを意味し、「紅中」はそれより盛んに無限に向かって伸長する壮厳性の表示だというのであ
る。

 「索子」は竹の節の絵を描いてはあるが、稲とか麻とか主要農産物を図案化したものである。

 「筒子」は金銭の表示であり、「萬子」は数字で無限の富の集積の可能性を表したものである。》

 《「索子」は麻だ。麻の糸を巻いたものをがらがらやって、その管を数える、その数字を表したのが「萬子」だ。たくさんの数をかぞえて金に換える。それが「筒子」だ。

 「東・南・西・北」は世界至る所という意味である。

 「緑發」は人間の発達心、「紅中」は真心、「白板」は純白な性質の表現である。》

 目についた誤字は直しましたが、「壮厳性」は意味不明でそのままにしました。

【3】ピンフ・ツモ
 《ただし、鎌倉地方に行われる麻雀にては、平和門前清自摸和了の場合は、その自摸和了2点を加えず、単に副底の両飜とするやり方がある。》

【4】四槓算了
 《その刹那に競技やり直しになります。無論四槓目の人が嶺上開花する権利も楽しみもありません。搶槓だけはできます。なぜというに、搶槓は槓にならんとしてならざる一瞬の間に成立するからです。

 注意 同一人の四槓は嶺上開花の権利を認め、その和了を満貫とする地方があります。》

 〔訂正〕5月号の3行目に「『サンデー毎日』に連載」と書いたのは間違いでした。わたしの読解ミスです。おわびして訂正します。
──────────────────────────────────

 以下、当時の覚え書き。

◆林茂光著には《当時大阪においては大毎のサンデー毎日誌が懸賞募集で「社交的室内の遊戯」として麻雀が当選したので、同誌上にこの競技法を連載したが、筆者もこの競技法を書いて、単行本にして発行(同年7月)した、……》とあります。

◆発刊の辞から抜粋します。
 《わたしは誠文堂を始めまして以来、ほとんど20年になりますが、その間実用書籍の出版に専念してきた者であります。

 とかく人々は書籍を愛玩物視したがる傾向がありますが、読書ということは人として欠くべからざる事項であり、書籍あるいは新聞雑誌のごときものは米飯と等しく日用生活の必需品であると信ずるのであります。

 したがって、大衆のための実用書籍に金箔皮革の装丁が行われているということは、実用以上のぜいたくでありましょう。

 十銭文庫はあらゆる虚飾を省き、しかも美観を損なわず、冗文を排して簡潔に要諦をとらえ、これを百数十ページの冊子にまとめたものであります。
    昭和5年秋 誠文堂主 小川菊松》

◆その後には八大月刊雑誌の一つとして『ゲーム』(この年1月に創刊したのはゲーム社。翌6年の1月号は出たが、早々に『スポーツ』に衣替えした?)も載っています。

◆冗長な文章なので、余計な修飾語は省きました。

◆広津は牛込プランタン派の一人で、佐々木茂索らと同じ文壇1期生と言えます。ちなみに川崎備寛は3期生。

◆本書の発行日は、6月号で紹介した『標準規定麻雀闘牌法』の5日後ですが、まったく対照的で「連盟」という単語すら見当たりません。本当に広津が書いた本でしょうか。名前貸しだったように思えてなりません。

 この1年ほど前に川崎備寛が書いたエッセイによると、広津は麻雀から遠ざかっていたそうですし。

 本人が書いたと思われる部分を2か所、抜きだして紹介します。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


1997-06 古書解題 第6回「麻雀闘牌法」織田収・天野大三著
第6回『麻雀闘牌法』織田収・天野大三著
 初版(337頁)昭和5年9月。東京神田・朝日書房発行。1円50銭。
「麻雀闘牌法」カバー 織田収・天野大三著

「麻雀闘牌法」織田収・天野大三著


 〔著者紹介〕織田収(33歳)は日本麻雀連盟中央委員。別名、小田秋。上海で麻雀を覚え、大正12年春帰国。

 天野大三(26歳)は連盟四段。昭和27年、報知ルールの制定に携わり、リーチ役を推進。その後、日本牌棋院を設立。新役考案・古役復活の鬼となる。

 大隈秀夫著『立直一代』(1983年1月・竹書房)は天野大三伝ですが、織田収からの聞き書きのなかには本書にまつわる話も出てきます。

 本書は4部構成になっています。競技編が95ページ、規定編が60ページ、実戦編その1が103ページ、その2が78ページです。

【1】競技編の写真を見ると、捨て牌は乱雑になっていて「浮屍牌」(フシーパイ)と書き込みがしてあります。

 ところが、実戦編その2の「正しい発牌の仕方」という項目では、左から右へ順序よく捨てろと書いてあり、第1打牌から第4打牌までの位置を図示しています。

 フリテン規制や放銃一家包が成文ルールに登場する前夜でした。

【2】また前記の写真には、これからツモる山は「底牌」と書いてあるので、最後の牌を海底牌と呼ぶのが自然なことも分かります。

【3】本書の特徴としては、まず連盟のルールに則していることが挙げられます。第2部の規定編で昭和5年ルールの逐条解説をしています。

 そしてもう一点は、それまでの麻雀本よりページ数が多いことです。箱入りの立派な製本であることも付け加えておきます。

【4】日本初の統一ルールと言えるのは、前年の昭和4年ルールで、この昭和5年ルールはそれを改訂したものです。「訂」の字にふさわしく、用語にフリガナを付けました。

 ルール自体は整合性に欠け、紹介する価値はありません。会議制の欠点が出ていて、当時を代表する適切なルールとは思えません。例えば河底撈魚が採用されたのはこの年だけでした。

 わたしは、風雪に耐えたルールこそが競技的であると考えます。その意味で、連盟が昭和37年ルールを改訂しないでいることがうれしいし、段位を雀力の現れとして素直に評価できるのです。

【注】連盟は2002~03年、ルール変更。連底を切り上げ制に変更した。

 例.22符0翻(役なし最低点)の場合。
  02年まで 22を四捨六入して20。子なら80点、親120点の収入。
  現在   22を切り上げて30。子なら120点、親180点の収入。

 02年までは22符と24符のみ最低収入だったので、二十二(アルシーアル)と呼ぶにふさわしかったが、22符も30符も同じでは「名が体を表す」とは言えない。

【5】実戦編の内容は、5月号で紹介した林茂光著『麻雀競技法とその秘訣』に非常に似通っていて、文末を「です」「ます」の敬体に変えただけです。林が翌10月に発刊した雑誌『麻雀』の編集を天野が担当するなど3人は親しかったので、内容が似ていても何の不思議もありません。

 この時代に文章化された戦術は2通りに分けられます。一つは中国の麻雀格言を翻訳したもの、もう一つは各牌の使い勝手を数値で表したものです。

【6】発牌の定石

 《7)二万・五万・八万の時
 兵牌(ピンパイ=手持ちの牌。手牌とも言う)中に二万・五万・八万の3つの単張ありとすれば、一万、九万の牌が河中に半ば以上屍牌(シーパイ=河に出て不要として顧みられなくなった牌)となっていない限り、まず中張牌の中央であるべき五万から発牌して差し支えありません。

 二万または八万から発牌してしまうと、数牌との連絡価値が7張しかない。五万から発牌すると他の数牌との連絡価値がまだ8張は残っています。

 そして五万を真っ先に発牌しておくことは、二五八の法則によって、二万、八万はほぼ安全性を持ってくることになります。》

【7】競技者の態度

 《1)顔色
闘牌中、牌回りが良いと喜色満面、反対に悪ければ暗澹たる相貌に変わり、不意に悪牌をつかむと狼狽の色を表してきます。
 かかる人は、たとえ技量はあってもまだ麻雀技の上達者とは言えません。》
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 以下、執筆当時の覚え書き。

 本書は天野が校正を担当し、2か月後に出た『麻雀競技法とその秘訣・増訂版』より22ページも多くしています。

◆日本初の統一ルールと言えるのが前年の昭和4年ルールですが、毎年のように変更がありました。昭和5年ルールで改定された点をいくつか挙げます。

 九種倒牌を第1ツモ時に限るとしました。
 立直(現在のダブリー、昭和4年度、5年度だけ採用)後の暗カンはできないとしました。

 河底撈魚が、新たに(結果的にはこの年度だけ)採用されました。
 人和が採用される。

 四槓子は消滅。

◆本書が大冊になっているのは、天野の麻雀人としてのランクを跳ね上げるため、企図したものと思います。
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1997-05 古書解題 第5回「麻雀競技法とその秘訣」林茂光著
第5回『麻雀競技法とその秘訣』林茂光著
 東京神田・四六書院発行、定価1円30銭。
 初版(262ページ)昭和4年10月。増訂版(315ページ)昭和11月。
「麻雀競技法とその秘訣」林茂光著


〔著者紹介〕林茂光(りん・もこう)は麻雀ネーム。中国に6年滞在し、天津で麻雀を覚える。
 大正13年春帰国。『サンデー毎日』に競技法を連載し、7月に単行本化。日本麻雀連盟でルールの制定に長く携わる。
 昭和5年の「日華麻雀対抗戦」には連盟代表・カニ缶詰連合会勤務として出場。

【訂正】『サンデー毎日』に連載したのは、佐伯文学士。本書の253頁(増訂版では293頁)には、「日本における麻雀の小観」と題して次の文がある。

 《当時大阪においては、大阪毎日新聞の『サンデー毎日』誌が懸賞募集で「社交的室内の新遊戯」として麻雀が当選したので、同誌上にこの競技法を連載したが、筆者もこの競技法を書いて、単行本にして同年(大正13年)7月に発行した。》

 「……が、……」のスタイルで2つの内容をつなげている。時間的順番になっているので、読解ミスが起こりやすい。

 鈴木知志さんも同じミスをしている。
 『プロ麻雀』81年8月号でミス、翌9月号174頁でミスの可能性が高いことを書き、84年5月号94頁でその答えを載せている。
 ※この時点では麻雀博物館設立の動きはなく、鈴木さんの近況も知りませんでした。

〔協力者〕文献翻訳は小田秋。校正は天野大三。両名のプロフィールは来月号に。

 本書は、競技法と上達法の2部構成になっています。競技法から抜粋します。

【1】牌山の築き方として、現在の井圏式のほかに、当時も少数派の単牌式(4月号『麻雀疑問解答』に出てきた21張井圏式)を紹介しています。要約します。

 〈各自は牌山を21枚1段で築く。そして手前に13枚を並べる。まず6枚ずつ2列に並べ、その上に1枚乗せる。これが各自の配牌になるが、このまま自分の前の13枚を取ったのでは積み込みし放題だから、取り方を工夫する。

 単牌式はサイコロ1度振りで、開門場所と同時に配牌も決まる。親の配牌は次の通り。2・6・10および5が出たら南家の前の13枚、3・7・11なら対面の、4・8・12および9が出たら北家の前の13枚。〉

 寧波などでの船上対局の方法でしょうか。

【2】正しい用語を伝えようとして、中国語ローマ字表記と、必要に応じて英語も付けています。「ロン」について要約します。

 〈中国ではツモアガリと出アガリを区別する言葉が見当たらず、どちらも「和了」である。
 著者は出アガリのとき「ロン」という発音があるのを知ったので、仮に「栄」の字を当てはめて旧著『麻雀』に発表した。その後の出版物が、どれもこの字を使ったので、今や日本全国で「栄」が使われている。

 著者は当て字に対する責任を感じたので、いろいろ調査した。最近になって実は「手ヘンに龍」という字だと分かった。意味は「揃う」ということで、和了の時に限らない。

 出アガリのときは「放銃和(ファンチュンホー)」という用語が最も妥当である。また、かけ声は「ホーラ」だ。しかし、本書では 「栄和」を使用する。〉

【3】副露の手順
 《いずれの場合でも、必ず最初にこれらの動作をなし、しかる上にて自分の不要牌を捨てるのが正しい方法です。上達するにしたがい、発牌した後にこれらの動作をなすことがありますが、それは正当ではありません。これを守らないと文句が出たときに弁明の辞がありません。》

【4】一荘の所要時間
 《習いはじめは3時間ぐらいかかりますが、支那人などの早い者になると1時間足らずで済ませます。そうまで急いてやるにも及びませんが、2時間前後で済ませるぐらいにまで熟達すればよいと思います。》

【5】副底
 《上海では10副、北京では40副、東京では20副が多いようです。》

【6】門前清
 《暗槓を除外する向きもありますが、門前清の字義に拘泥しすぎです。》

【7】立直(注.現在のダブリー)とは別の役として、不吃不〓を載せています。
 《1翻。配牌前に吃も〓も(槓を含む)せざることを宣言して和ったもの。宣言は「プチープポン」と言う。日本では、まだ多く用いられません。この役と門前清と混同して説く者がありますから、お気を付けください。》

 【注】〓は石へんに並。

【8】緑一色
 《満貫。緑色牌のみにて和ったもの。緑色牌には索子の二、三、四、六、八および発財の6種がありますから、これらだけで和ったものです。支那ではあまり多く用いられていない役です。

 ことに支那は緑色は好まないから、この役は米国あたりで出来たものと思います。すなわち「オールグリーン」訳して「総緑」などと言います。》

〔訂正〕4月号の槍槓は間違いで、『麻雀疑問解答』でも「搶」になっています。
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◆字数の都合でカットした部分

 連荘について《4回または8回と限定する所があります。無制限だと勝負が長引くからとの理由だそうですが(協定)、あまり実行されません。》

 用語は「一副露・嵌搭・浮屍牌・客風・面子」なども出てきます。

 付録のなかに「4名士の麻雀観」が『麻雀春秋』から転載してあります。
 菊池寛・浜尾四郎・久米正雄までは同じですが、小泉又次郎逓信大臣が増訂版では甲賀三郎に差し替えてあるのは、世情が絡んでのことでしょうか。
 ※小泉又次郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%8F%88%E6%AC%A1%E9%83%8E


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まとめ

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